ヒマワリ賛

 Facebookで私の友人の一人である足立さんが素晴らしいエッセイを英文で書いてくれた。いつも私の駄文を読み、実に的確なコメントをくれる無類の友である。心からお礼を述べたい。ヒマワリは日本的でない花の代表格の一つで、典型的な夏の花。二人にとっては似た記憶を共有する花らしい。

 男の弱さを何とも見事に演じたマルチェロ・マストロヤンニと、女の強さを誇らし気に演じたソフィア・ローレン、いずれがうまいかなどただすのは野暮というもの。ゴッホのヒマワリとロシアのヒマワリ畑のいずれが好きかは正に人様々。見事な映画でも「なぜヒマワリなのか」と問えば、ヒマワリでなければならない必然性は見つからない。ヒマワリがマストロヤンニ演じる兵士の記憶の回復に寄与でもしていれば、シナリオはもっと違っていたに違いない。

 ゴッホがなぜヒマワリに固執したのかもはっきりしない。その頃のゴッホに尋ねてもまともな答えは返ってこないだろう。実に不思議なのだが、ゴッホには糸杉とヒマワリ(そして自らの顔)が実にぴったり合うのである。私はゴッホセザンヌが知り合い、絵画についての美学を展開させていたなら、20世紀だけでなく、21世紀の美術もまるで変っていたのではないかと残念でならない。もっとも、二人の気質からしてそんなことは望むべくもないことなのだが…

 いずれの場合もヒマワリは単に小道具に過ぎないのかと言えば、決してそんなことはない。ヒマワリの存在は実に大きく、ヒマワリ無くして、映画も絵画もなかったのである。ヒマワリは無碍に扱ってはならない存在なのである。

*画像はロシアのヒマワリとゴッホのヒマワリ